2022年6月17日 / 最終更新日 : 2022年10月4日 uruma@ururun.jp 飯能のニュース【連載企画】我が行路⑤ 「母子衛生に従事」 沢辺瀞壱(元飯能市長) 昭和39年4月に埼玉県庁職員として就職した。東京オリンピックが10月に開催された年である。 上級職行政職という身分であった。民間企業は景気が良くて給料もよかったが、県庁はその面で人気はなかったが、しかし、それなりに1 […]
2022年6月3日 / 最終更新日 : 2022年10月4日 uruma@ururun.jp 飯能のニュース【連載企画】我が行路④ 「中央大学法学部へ進路」 沢辺瀞壱(元飯能市長) 岩沢の家から飯一中までは、雨の日も雪の日も自転車で通学した。最初の頃は、家にあったお古だったが、その後、新車を父が買ってくれた。 自転車通学は、楽しかった。帰りは道草をするのが常だった。町中にあった街頭テレビを見物し […]
2022年5月19日 / 最終更新日 : 2022年10月4日 uruma@ururun.jp 飯能のニュース【連載企画】我が行路③ 「〝根回し〟の学級委員」 沢辺瀞壱(元飯能市長) 飯能町立加治小学校に入学したその年に、新しい母である多美子が川島町の小高家からやってきた。 多美子が沢辺家に後妻として嫁いだ経緯はこうだ。川越中学時代の父に仲の良い同級生がいた。父が同級生に「妻がいなくなって弱った」 […]
2022年5月6日 / 最終更新日 : 2022年10月4日 uruma@ururun.jp 飯能のニュース【連載企画】我が行路② 「母の死、小学校入学」 沢辺瀞壱(元飯能市長) 終戦により、母、姉、私は朝鮮から日本へ帰ることとなった。 敗戦で混乱の時代に入った日本。重苦しいというか、それまでと周囲の雰囲気が一変したのを幼心に感じていたが、付き合っていた近所の人たちとの関係は、以前と全く変わら […]
2022年4月27日 / 最終更新日 : 2022年10月4日 uruma@ururun.jp 飯能のニュース【連載企画】我が行路① 「校長先生の子ども」 沢辺瀞壱(元飯能市長) 平成25年8月7日。私は、3期12年間、市長として在任した飯能市役所を後にした。最後の執務をやり終え、庁舎1階の玄関を出ると、「ああ、終わったな」と、寂しさが込み上げたが、一方で激務から解放されるという清々しさもあった […]