米由商店が創業100周年 「気負わず、地道に」 有志実行委員会が祝福企画も
飯能市仲町の米穀専門店「米由(こめよし)商店」が4月で創業100周年を迎える。選りすぐった米や豆を店頭に並べ、地域の人々の食を支えて1世紀。3代目店主の岡部久功(ひさよし)さん(55)は、「人とのつながりを大切に商売を続けてきた。周りの皆さんの支えのおかげ」と感謝する。
同店は久功さんの祖父・由次郎(よしじろう、故人)が大正11年(1922年)に創業。祖父は名栗の材木商の次男に生まれ、家業とは違う商売がしたいと、川越の米屋で修業した後、現在地に店を構え、自身の「由」の字を取って米由商店と名付けた。
当時は、西武鉄道の前身となる武蔵野鉄道が池袋~飯能間を開業して数年が経過し、鉄道による木材輸送が盛んだった。飯能駅周辺は材木置き場が広がり、店の周囲は見晴らしが良かったという。
林業や織物で栄えた飯能の駅前で人々の生活に欠かせない米を扱い、堅実な商売を目指したが、太平洋戦争が始まると、米が配給制となり、金属回収令で店の看板も供出、戦後の食糧難もあり、苦難の時代を過ごした。
2代目となる父親の頌治(しょうじ、故人)は、北川の出身。教師を目指していたが、大学時代に出征し、横須賀海軍航空隊に配属され、高知で終戦を迎えた。その後、実家の農林業を経て岡部家に婿入り。
終戦があと数日長引けば特攻隊員として出撃した可能性が高かったといい、「一度死んだと思えば、どんなことも乗り越えられる」と、辛抱強く商売と向き合い、初代の由次郎と共に高度経済成長期にかけて店を盛り立てた。
3代目となる久功さんは、次男に生まれ、中学生の時、8歳上の兄が教師の道に進んだため「自分が店を継ぐんだ」と漠然と決意。20歳から都内の米店で2年ほど修業を積み、平成元年に実家の店に戻った。
「祖父、父と一緒に3代揃って店に立ちたい」と思っていたが、修行中に祖父・由次郎が91歳で他界。両親と店を切り盛りし、平成19年に父・頌治が亡くなってからは、母とともに商売を続けてきた。
都内での修行中は、活発に営業活動を行って顧客を獲得していたが、飯能に戻り、同じやり方ではなかなかうまくいかないことを実感。「飯能では、人とのつながりを大切にしながら、商売に取り組んでいくことが大事だ」と思ったという。
米の流通の自由化が進み、色々な場所で米が買いやすくなると、米穀専門店の利用者は減少。久功さんが店を継いだ頃と比べ、飯能の専門店は半減してしまった。
そうした中でも、店頭販売や配達といった地道な商売を続けた久功さん。レトロな雰囲気の店内で目を引くのは、さまざまな産地や銘柄の米や豆。自身の目と舌で選別するのはもちろん、利用客の要望に応えて取り寄せ、定着したものも多い。
「こんな豆はあるかしら」と聞かれれば、「じゃあ少し取り寄せてみましょうか」とすぐに対応。米選びに迷っている客には「どんなご飯が好きですか」と会話をしながら好みを探り、適した米を勧める。そうした繰り返しによって、信頼関係を築いてきた。
「お客さんの要望には極力応えたい。そんな思いでやってきました」と久功さん。食が多様化する中で、「最近は若い世代にも食への関心が高い人が増えてきたと感じている」という。
「仕事も遊びも一生懸命」がモットー。この数年はコロナ禍で中止が続いているが、飯能まつりでは囃子連の中心として活躍。再開を心待ちにしている。
店を継ぎ30年。辛いこともあったが、コツコツと毎日を積み重ねてきた。100年の節目を迎え、「店を続けてきた祖父や父、周囲の人々の支えに感謝するとともに、今後も気負わずに、日々できることをやっていきたい」と話している。
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米由商店の100周年を祝おうと、商店主などの有志が実行委員会を立ち上げ、記念事業を企画。オリジナル手ぬぐい、記念Tシャツを制作し、ご祝儀と引き換えに、引き出物として、5000円でおこめ券1枚(500円分)、オリジナル手ぬぐいまたは記念Tシャツ、1万円でおこめ券2枚(1000円分)、オリジナル手ぬぐい、記念Tシャツを贈呈する(引き渡しは4月1日から)。同企画についての問い合わせは、Bookmark(飯能銀座商店街)981・9775へ。