いよいよ飯能戦争登場 大河ドラマ「青天を衝け」

天覧山

 渋沢栄一を主人公とするNHK大河ドラマ「青天を衝け」。飯能市民にとっては、振武軍と飯能戦争、壮絶な最期を遂げた渋沢平九郎など、地元とゆかりの深い内容としても注目を集めている。

 ドラマは先週から戊辰戦争へと突入しており、22日放送の第25回では、飯能戦争や渋沢平九郎の最期が描かれる見通しだ。

 15日に放送された第24回では、パリにいる渋沢栄一たちが戊辰戦争が始まったことを聞いて驚愕しているところから一転、同時期の日本の様子が描かれた。

 慶応4年5月の「日本 武蔵国 飯能」というテロップが登場、山の中を進む渋沢成一郎(高良健吾)、尾高惇忠(田辺誠一)、渋沢平九郎(岡田健史)の姿が続いた。その後新政府軍と思われる兵士から銃撃を受けたところで終わっている。

 そして、次回予告では、返り血のようなものを浴びた成一郎が、はぐれてしまった平九郎の名を呼ぶシーンが映し出された。飯能市立博物館によると、「あの場面は本営となっていた能仁寺が焼け、渋沢成一郎たち旧幕府軍が天覧山裏から横手村の方へ向かって逃げるシーンと想像される」とのこと。

 飯能でもなじみの深い平九郎は弘化4年(1847年)、栄一の親戚・尾高家に生まれ、兄の惇忠らの影響で学問と武芸に励み、尊王攘夷の思想を深め、栄一の見立て養子となった。徳川慶喜の蟄居に不満を抱いた有志らが結成した「彰義隊」に惇忠らと参加、彰義隊の頭取を務めていた従兄の成一郎が内紛により離脱し「振武軍」を結成するとこれに参加した。

 振武軍など旧幕府軍は飯能の能仁寺に陣を構えて新政府軍と戦うが、わずか半日で壊滅的な打撃を受け敗走。兄たちとはぐれた平九郎は顔振峠を越えて越生町の黒山三滝へ向かうが、広島藩兵に見つかり交戦、深手を負い、岩の上で自害を遂げた。享年22歳(満20歳)。

 パネル展「飯能と渋沢栄一」を開催中の同博物館は、「これまで大河ドラマの撮影が飯能で行われたことはあるが、飯能が歴史上の舞台として大河ドラマに登場するのは恐らく初めてと思われ、第25回の放送が待たれる」。

 また、ドラマの最後の90秒ほどでその回のゆかりの地を紹介する「青天を衝け紀行」でも飯能や越生が登場する可能性が高く、市民にとっては見逃せない回になりそうだ。