山田理事長に聞く 名栗カヌー工房開設25年 メッツァ出店やイオン業務提携
飯能市の名栗湖畔で、スギ材を加工して手作りカヌーなど多種にわたる木工製品を生み出している認定NPO法人名栗カヌー工房(山田直行理事長)。
家具や小物など木工品を製作する工房は国内に数多いが、カヌーを手掛ける施設となると、その存在は稀有だ。名栗湖を見下ろす現在地の工房を運営して今年で四半世紀。
この間、手がけた西川材製カヌーは600艇を超える。節目を迎えた工房をけん引する理事長の山田直行さん(71)に振り返ってもらうとともに、今後の展望などを聞いた。
─工房が開設されて今年で25年。当初スタッフは山田さん含め、2人だけだったとか。それが18人に増え、メッツァには第二工房の「ソグベルク」を開所するまでに。成長著しい飛躍ですね。
山田理事長 飛躍と言えるかどうか(笑)。四苦八苦してますよ(笑)。よくぞここまできたなという感じですね。地元の方々、スタッフ、関係者皆様に感謝です。工房はお陰さまで製作者が増加して、施設が手狭になってきたという課題が生じています。
─工房は当初、この場所ではなかった。
山田 ええ、現在地に今の工房ができる2年前、ここから500メートルほど東側に下った村有地(当時)に建設されたプレハブが工房のスタートです。
当時のスタッフは私を含め、2人。村の臨時職員という位置付けで、プレハブは工房ができるまでの暫定的な施設でした。建物はプレハブでしたが、やっていることは全国的に見ても珍しい公営のカヌー製作施設ですから、胸の中には熱いものがありましたよ。
─山田さんは、名栗に移住されてきたわけですが、以前はどちらに。転居前もカヌー作りはしていたのですか。
山田 名栗に引っ越してくる前は、入間市のマンションに住んでいました。テレビ局で小道具を製作するのが仕事でした。仕事の傍ら、趣味でカヌー作りをしていたんです。マンションの部屋を改造して(笑)。
─改造ですか。ご自分で?。
山田 はい。マンションは6畳二間あり、その間に押入れがありました。そこで思いついた。押入れをぶち抜けば押入れのスペースに加え、二間続きの部屋が生まれると。で、決行しました(笑)。
まあ、それなりの作業スペースが生まれましたけど、マンションなので製作にはやはりいろいろと支障が(笑)。それで名栗に家を借り、そこでカヌー製作を本格的に開始したわけです。平成元年だったでしょうか。
─仕事はどうされたのですか。
山田 名栗からテレビ局に通うのは無理なので、仕事は辞めました。以来、カヌー製作歴45年です(笑)。
─仕事ではなく、カヌー作りを選択したわけですね。潔い(笑)。
山田 で、入間で作ったカヌーの手直しを名栗に借りた家でやっていた。それをある新聞社の記者が記事にしてくれた。そしたら、カヌーを作ってくれないかと全国から問い合わせがきて、4艇の注文が入ったんです。
もう嬉しくて、嬉しくて。仕事がなかったものですから。人手が足りないので、名栗で知り合いになった人たちの奥さんに頼んで、手伝ってもらいました。
─当時から今のようなスギ材でカヌーを?。
山田 いえ、最初はFRPでした。入間ではFRP製2艇と、DIYの店で購入した木材を材料にした木製1艇の計3艇を完成させました。
─今、この施設は飯能市の所有で、山田さんが理事長を務めるNPOが指定管理者として、市から運営を任されている。でも、施設ができた当時は、全国でも例の少ない公営のカヌー工房。しかも事業主体は財政規模の小さな村。村は、ずいぶん思い切ったことをしたなという印象です。
山田 国の助成事業でカヌー工房の施設は建設されました。新聞に私のカヌー作りの記事が載り、地元の奥さんたちがそのお手伝いをしている。これに着目した村が西川材による手作りカヌー施設というプロジェクトで申請し、採択されたのです。
─25年の間には、工房の歴史に記さなければならない大きなトピックスもありましたね。
山田 皇太子殿下(当時)が平成16年4月23日にお見えになりました。また、翌年にもお見えになりました。
最初の年は棒ノ嶺の登山に来られたのですが、朝から悪天候で登山が中止となり、その関係で、工房には当初午後3時に来られる予定だったのですが、早まって午前10時にお出でになりました。
─山田さんが施設案内を。
山田 殿下は海や船の話しをされてました。驚いたのは、工房に展示してあった昆虫の標本を見つけられ、「ウスバカミキリもいるんですね」とご質問されたこと。
ウスバカミキリは数は少ないのですが、名栗にも生息している昆虫です。殿下の知識に大変驚かされました。
─翌年も名栗にお出でになられました。
山田 朝、車で通りますから、皆さん玄関に出ていて下さいとの連絡を頂き、お迎えしました。この時も棒ノ嶺登山でした。前年、登山が中止になりましたので。
本来なら登山をするのには工房の方にはきません。それをわざわざ、こちらに車を向けて頂きました。殿下は窓から手を振っていらっしゃいました。本当に有難かったです。
─3年前、宮沢湖畔のメッツァに第二工房のソグベルクをオープンしました。
山田 大きな決断でした。地元西川材で、カヌーとともにバラエティに富んだ木工品が製作できるということを、海外含め来園者にPRしたかった。
コロナ禍で来園者が減っている状況ですが、お陰様で「ククサ」が去年あたりから売れ始め、主力商品の仲間入りをしました。カヌーとともに稼ぎ頭です。
─ククサとは、木製マグカップのことですね。
山田 そうです。北欧では、これを贈られた人は幸せになると伝えられています。ケヤキ、サクラ、クリ、ヒノキなどいろいろな木を使ってカヌー工房で製作し、ソグベルクで販売しています。
キャンプブームが追い風になってか、多い日で20個くらいは売れます。
─工房は多数の映画やテレビドラマの撮影にも使われていますが、最近、何か撮影は行われましたか。
山田 「とんび」という映画の撮影が昨年12月に行われました。カヌー作りのシーンを撮影したのですが、私が技術指導をしました。俳優の北村匠海さんがお見えになりましたね。
NHKのお昼の生中継は、25年で4回行われました。全国放送ですから、放送後は本当に大勢の方があちこちからやってきます。あと、「小さな旅」でしょうか。見て下さった方がどんなところだろうかと、やってくる。地元への観光面、経済面で非常に大きな効果があると思いますね。
─最近の話題としては、イオンファンタジー(千葉県千葉市)との協定締結が上げられますが。
山田 この協定は、森林資源を活用した事業に関する基本協定で、両者が連携協力して森林資源を活用した屋外型の遊びと学びの場の創出などに取り組むというもので、昨年12月24日に締結しました。
─カヌー工房がイオンと業務提携をするという発表は、メッツァへの出店か、それ以上の話題でした。
山田 イオンさんとの業務提携について驚いていらっしゃる方もいますが、実はカヌー工房は以前からイオンさんとつながりがあるんです。越谷レイクタウンのオープンの時、イオンさんがレイクタウンの湖に浮かべるため、うちのカヌーを買ってくれたんです。
当時、レイクタウンは建設中だったのですが、私とスタッフとでカヌーを搬入し、その後、1時間ほど社員向けにカヌーや西川材のことなどをテーマに私が講演をしました。20年ほど前のことでしょうか。
─そのような関係があったのですね。
山田 また、イオンさんはカヌー工房のパンフレットをレイクタウンの案内所に置いてくれています。これによって、越谷市内や近隣から名栗カヌー工房へカヌー漕艇にやってくる小学校が増えたのです。
校名を上げると、越谷市立大沢北小学校、大袋北小学校、松伏町立第二小学校などです。毎年のように来所してくれますが、残念ながら今はコロナ禍で中断していますが。
─25年間で、強く印象に残る主要な出来ごとを語って頂きました。工房運営上の悩み等はありますか。
山田 一番困っていることは工房前の道路が災害のたびに通行止めになってしまうことです。25年間で、私の記憶としては通算7年くらい、工房前の道路が通行止めになっています。
現在もダム管理事務所からカヌー工房に通じる市道は、3年前の台風19号以来、ずっと通行止めの状態です。
─湖の対岸に迂回路がありますが、狭幅員で屈曲しているので車の運転には神経を使います。
山田 狭く曲がりくねったこの迂回路を使うとダム堤体からカヌー工房までの距離は約4キロメートルとなり、ダム管理事務所前の道路の4倍の距離になります。これではお客様はやってきません。通行止めのたびに利用者が9割減少するんです。
そこで、名栗中学校の跡地利用ということで、夏に市役所からあの学校を使いたいという人が出てきているとの情報が入ったので、それならば、カヌー工房もこのような状況なので、できれば中学校の建物を利用したいと提案したのです。
─25年間でカヌー工房が世に送り出したカヌービルダーは500人。経団連元会長である土光敏夫氏のご子息もカヌー工房のお客様と聞いています。今後の抱負を。
山田 お陰さまで、名栗カヌー工房はここまでやってこれました。今後も森林資源の活用を通して地元西川林業の振興、地域雇用の促進に注力していきます。
▽認定NPO法人名栗カヌー工房
飯能市特産の西川材の有効活用によるカヌー製作教室及びカヌー漕艇教室、木工教室等の開催や、名栗湖の環境保全に取り組むNPO法人。学校教育、子ども会、公民館活動等のサポートに積極的に取り組み、カヌーを通して青少年が木と自然に親しみ、体験し、やり遂げる喜びを発見する場所を提供している。宮沢湖畔メッツァにあるソグベルクは同工房の直営。
問い合わせは、名栗カヌー工房(979・1117)へ。