新飯能名物「筏うどん」誕生 ミニチュア筏や飯能焼を器に
入間川や高麗川の流域で生産した木材を筏(いかだ)に組んで江戸へ流した西川材の歴史と、郷土料理として親しまれるうどんを結びつけた「筏うどん」が誕生した。
西川材のPRと利用促進を目的に毎年開催されている「西川材フェアー」の実行委員会が企画し、試行錯誤を重ねて完成。新たな飯能名物として普及を図ろうと、飯能グリーンカントリークラブ(久須美)のレストラン、飯能銀座商店街の長寿庵(仲町)、飯能河原近くのタケマツ(久下)の3店舗で販売が始まった。
「筏うどん」は、西川材で作ったミニチュアの筏を、川に見立てた飯能焼の皿の上に置き、うどんを盛りつけたもの。ミニチュアの筏の上には筏師の人形も置かれ、皿には「はんのう」の文字が記されている。
店舗での提供にあたっては、共通した筏と飯能焼を器に使うこと、副食を付けること、西川材・筏流しの由来を書いたチラシを添えることなどがルールで、盛り付けるうどんや価格については店によって異なり、各店舗の伝統やこだわりの味を生かす。
店に掲示して新名物をアピールするためののぼりも製作。緑と青を基調にしたのぼりには「筏うどん」「飯能西川材の里」の文字のほか、昔懐かしい筏流しの写真が盛り込まれた。
販売開始に先立ち、筏うどんを提供する飯能グリーンカントリークラブでお披露目と試食会が行われ、西川材フェアー実行委員会会長で西川地区木材業組合長の本橋勝さん(叶木材)、飯能商工会議所専務理事の木崎幸長さん、飯能グリーンカントリークラブ社長・総支配人の大﨑光二さんらが、見栄えや味を確認した。
同クラブの筏うどんは、肉の入ったつけ汁で味わう「昔ながらの田舎風肉汁つけうどん」に天ぷらや小鉢を添えたもの。試食した関係者たちは「筏流しの雰囲気が出ている」「これはうまい」と評価。今後の新名物の普及に期待を込めた。
江戸から見て西の川から流れてくる木材としてその名がついたと言われる西川材。筏流しが盛んになったのは江戸時代中頃からとされ、上流から飯能河原までを「山川(やまっかわ)」、荒川合流付近までを「下川(しもっかわ)」、荒川本流を「大川(おおかわ)」と読んで区分、山川から江戸の千住まではおよそ5日間の行程だったという。
1915年(大正4年)に武蔵野鉄道(現西武池袋線)が開通すると鉄道による木材輸送が始まり、また、道路が整備されトラックで木材運搬が行われるようになると筏流しは減少し、大正末から昭和初め頃を境に姿を消したという。
西川材フェアー実行委員長の本橋さんは「飯能の良材である西川材と、筏流しのイメージをまちおこしに活用し、せいろのかわりに筏を器にして新しい名物にしたらどうかと関係者で検討した。当初は筏うどんと筏そばの二種類を試作したが、うどんに絞り、3年がかりでやっと出来上がった。まず3店舗のご協力を頂いて販売し、参加店舗を増やしていけたら」と話している。
筏うどんを販売する店舗への問い合わせは、飯能グリーンカントリークラブ973・0005、長寿庵972・3596、タケマツ972・2911へ。