県内貴重な伝統芸能 「薬師堂」春の縁日で奉納

堂内で念仏を演奏する保存会

 飯能市落合の西光寺(加藤秀明住職)仏堂「薬師堂」で12日、春季例大祭が催され、県無形民俗文化財指定の双盤念仏が奉納された。太鼓と鉦を打ち鳴らしながら「ナンマイダー」と念仏を唱えるもので、演者は同寺檀家で構成された保存会(小島正義会長)。双盤念仏が伝承されている例は県内では少なく、当日は市教委が視察したほか、NHKが取材に訪れるなどした。

 薬師堂は、西光寺から東南方向に約300メートル離れた丘陵の裾野にある。4月12日と10月12日が本尊である薬師如来の縁日で、この日は同寺檀家や地元住民が「やくさま」と親しみを込めて呼ぶ薬師堂に続く坂道を無病息災を願って上る。

 春と秋の例大祭で欠かさず奉納される芸能が、双盤念仏。江戸時代末期、西光寺の七世住職が落合地区に伝えたといわれ、流派は浅草流。太平洋戦争での金属供出で鉦を失い、一時中断を余儀なくされたものの地区では現在まで伝承され、高いレベルでの演奏技術を維持している。

 双盤念仏は、僧侶が曲節をつけて南無阿弥陀仏を唱える「引声(いんぜい)念仏」から派生したものといわれている。江戸期になって双盤が使われはじめ、江戸後期には江戸市中の寺院の法要で、双盤の作法を民間の講中が担うようになったという。その後、太鼓が加えられ、娯楽性が加味された現在の形になったと考えられている。

 幕末にかけ、県西部や都内に宗派を超えて流行し、各地の奏者は互いに交流して技を磨いたが、大正から昭和にかけて下火になり、現在、県内で伝承されているのは落合地区など数か所にとどまっている。薬師堂境内には、落合が双盤念仏に熱心な地区であることを示す「念仏講」の石碑(時代不明)も建てられている。

 落合の双盤念仏の構成は太鼓1人に鉦4人。薬師堂本尊の薬師如来に向かって中央に太鼓が据えられ、後方左側から順に、四つの鉦が並ぶ。昭和52年の念仏復活に際して地元有志によって作られた双盤4枚は、直径36センチの同寸で、木製の枠台に吊り下げられる。太鼓は、直径49センチで高さ75センチの台に載せて打つ。

 念仏全体をリードするのが太鼓。その後方に並ぶ鉦は左側から一番鉦、二番鉦、三番鉦、四番鉦。一番鉦は「親鉦」と呼ばれ、鉦担当の中で一番の経験者が座り、鉦の演奏を主導する。

 例大祭当日は、午後1時から双盤念仏が約30分間にわたって奉納。太鼓と鉦は、音を響かせる打ち方の「起こし」と、響かせない打ち方の「寝かし」を交互に繰り返してアクセントをつけたり、テンポを変えたりと伝統の妙技を披露した。

 念仏が奉納された後、住職による祈願法要が行われた。また、今例大祭には、神奈川県相模原市を拠点に活動する和太鼓演奏チーム「相模龍王太鼓保存会」が初めて招かれ、ダイナミックな演奏を披露した。

 同双盤念仏がこのあと奉納されるのは、西光寺では8月14日の盆の施食会と大晦日、薬師堂では10月12日の秋季例大祭。