天皇皇后両陛下ご来訪 20日に飯能・日高へ
いよいよ20日、天皇皇后両陛下が飯能・日高に来訪される。
両陛下の希望を織り込んだ私的旅行として20、21日の2日間にわたり県内を訪問され、20日は日高市の高麗神社、巾着田曼珠沙華公園を視察された後、休憩として飯能市の県飯能合同庁舎に立ち寄られる。当日は午前から午後にかけて、両陛下の乗った御料車(ごりょうしゃ)が通過する飯能・日高市内の沿道に、市民による奉送迎(ほうそうげい)の場所が設けられる予定。周辺道路では交通規制が実施される。
両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)の日程は、20日午前に皇居を発たれ、午前中に日高市の高麗神社で参拝、視察、会食された後、午後にはマンジュシャゲが見頃を迎えている巾着田曼珠沙華公園を視察され、その後、飯能市の県飯能合同庁舎に立ち寄られる。その夜は熊谷市のホテル・ヘリテイジに宿泊。翌21日には深谷市の生涯学習センターや公民館、旧渋沢邸「中の家」、渋沢栄一記念館などを視察される。
高麗神社、巾着田は言わずと知れた地元の名所だが、改めて概要を記すと、高麗神社は主祭神に高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を祀る。若光は高句麗使節団の一員として来日したと考えられ、「続日本紀」には、大宝3年(703年)に「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と記されている。高句麗の王族と言われ、霊亀2年(716年)に東国7国の高麗人1799人が武蔵国に移され高麗郡が置かれた時、郡長としてこの地を開拓した。
近年は出世開運の神として年間60万人を超える参拝があり、現在の高麗文康宮司は若光から数えて60代目の子孫。9月から10月にかけて芸能等の催しが行われ、10月19日の例大祭では氏子が400年継承してきた獅子舞が奉納される。
神社の隣接地には国指定重要文化財の高麗家住宅がある。同住宅は慶長年間(1600年頃)に建立したと言われ、代々高麗家の住居として使用されたほか、例際に関わる集会や獅子舞の稽古、近隣の子どもに読み聞かせや漢詩を教える手習い塾などにも活用された。
巾着田は、清流高麗川が長い年月をかけて蛇行した形が巾着の形に似ており、その内側のほとんどが水田だったため、巾着田と呼ばれるようになった。日高市のシンボル日和田山からは、巾着の形を見下ろすことができる。
一帯は“高麗郷”と呼ばれ、西に秩父山地、東に関東平野を有し、豊富な自然に恵まれている。都心からも近く、菜の花やコスモス、曼珠沙華といった花々やカワセミなど数々の鳥の姿も見られ、全国各地から大勢の観光客が訪れる。
特に秋の彼岸に咲き誇るマンジュシャゲは、雑木林の木漏れ日の中で真紅の絨毯を敷き詰めたような様相を見せる。マンジュシャゲの球根は分球を繰り返し、現在約500万本の群生地として毎年約30万人の行楽客を楽しませている。
また、休憩に立ち寄られる県飯能合同庁舎は、昭和48年に完成し、翌49年度から利用を開始。現在、県の2機関(飯能県税事務所、川越農林振興センター林業部)と入間第二用水土地改良区が入居している。
飯能県税事務所は、飯能市ほか4市町を所管し、県税の課税や徴収、納税証明の発行に関する業務を行っている。川越農林振興センター林業部は、飯能市ほか12市町を所管し、林業振興、普及支援活動、森林の基盤整備、森林保全等に関する業務を、入間第二用水土地改良区は、飯能市ほか3市の一部地域を所管し、ほ場整備など農業の生産基盤の整備や開発を行っている。
両陛下をお迎えするにあたり、沿道に指定された奉送迎場所には小旗が用意される。市は安全確保のため、現場の警察官や係員の指示に従い、マナーを守って奉送迎をするよう呼びかけている。