地元に舞い戻った歴史資料 高麗郷民俗資料館「古文書に見る横手村の歴史」

横手村絵図と資料提供者の入江さん

 日高市梅原の高麗郷民俗資料館で企画展示「古文書に見る横手村の歴史」が開かれている。日高市横手地区が横手村と呼ばれていた江戸時代の検地帳や村明細帳、五人組帳や議定証文といった古文書の展示を通して、横手村の歴史や村政、林業などの歴史を紹介している。

 展示資料の提供者は北平沢在住の郷土史研究家・入江武男さん。入江さんは平成27年にインターネットオークションや古物商で販売されていた大量の古文書を見つけ、「郷土の大事な歴史資料を取り戻したい」と購入した。

 市教委文化財担当によると、横手村は日高市の西端にあり高麗郡に属していた。範囲は現在の大字横手とほぼ同じ。江戸時代の初めは幕府領だったが、延享3年(1746年)に御三卿(ごさんきょう)の一橋家の所領となった。

 村の面積のほとんどが山林で、村の中央を東西に高麗川が蛇行しながら流れ、川に沿って秩父街道が通過。集落は高麗川沿いを中心に約70軒、北部の小瀬名に4軒あった。土地柄、水田より畑が多く、水田の用水は谷間からの湧水に頼っていた。村域の大部分を山林が占めていたため林業が盛んだったという。

 企画展会場には、横手村の絵図に始まり、「横手村の様子」「横手村の村政」「領主一橋家と横手村」「横手村の林業」「明治23年の伊勢参り」の5つのテーマに分けて古文書を展示。

 領主が領民から年貢をもれなく徴収するために領内の田畑屋敷の面積などを記録し年貢を計算する際の基礎台帳とした「検地帳」、村高・田畑の広さ・水利・山林・農作物・家数・人口・牛馬数など一村ごとに村の概況を記した「村明細帳」、農民が5軒ごとに組合を作るよう命じられ相互扶助や連帯責任を負わされた「五人組」、村の運営のために定めた法「村議定」。

 また、文久2年(1862年)に一橋慶喜、後の徳川慶喜が京都へ向かった際、人足として随行した横手村民9人に対する手当金と旅籠(はたご)代、昼食代などを受け取った際の受取証、西川材の産地として林業が盛んだったことを示す資料、明治時代に村で結成された「伊勢太太講(いせだいだいこう)」が明治23年(1890年)に15人で伊勢参りをしたことなどを示す古文書などを並べ、その内容を解説している。

 インターネットオークションや古物商でこれらの古文書を見つけ、迷わず購入した入江さんは「売りに出された理由は分からないが、一度 地元を離れたものは回収するのが難しい。それでも現物が戻ってきたというのは何かの縁を感じる。地域の方々に見て頂き、郷土の歴史に触れ、愛着を深めてもらえたら」と話す。

 資料を整理し企画展を開いた市教委文化財担当は、「江戸時代の村では数多くの文書が作成され、主に村役人を務めていた家で大事に保管されてきた。これらの古文書は現在の公文書にあたり、当時の地域の様子や出来事を学ぶ唯一の手掛かりとなる貴重な資料。古文書の文化財的価値をご理解頂き、地域の歴史を学ぶ機会として頂けたら」と呼びかけている。

 展示期間は11月12日まで。開館時間は午前9時~午後5時。月曜休館、入館無料。問い合わせは985・7383へ。