桑田衡平の生涯と業績 医学書翻訳で近代医学の礎築く

北平沢に生まれ医学書の翻訳などで功績を残した桑田衡平

 日高市北平沢に生まれ明治初期に多くの米英医学書を翻訳し日本の医学発展に貢献した桑田衡平(1836~1905年)の足跡を広く紹介しようと、日高市新堀の高麗神社(高麗文康宮司)と桑田衡平翁を顕彰する会(入江武男会長)は、第2回高麗郡偉人伝「医学者桑田衡平の生涯と業績─日本近代医学のあけぼの─」を23日から30日まで同神社参集殿2階大広間で開催する。

 高麗郡偉人伝は、建郡1300年を迎えた昨年、高麗郡出身の偉人を紹介する展示会として始まり、今年で2回目。期間中は展示や講演、絵本読み聞かせなどを通して、桑田衡平の生涯や功績を紐解く。

 桑田衡平は、製茶機械を発明し日高の偉人として知られる高林謙三(1832~1901年)の4歳下の弟として天保7年(1836年)に高麗郡平沢村に生まれ、苦学を経て江戸の坪井信道に医学を学び、天然痘の撲滅に活躍した桑田立斎の長女と結婚し江戸で開業。加納藩の藩医として岐阜に身を置いたが、最新医学を学びたいと脱藩し江戸へ戻った。

 明治時代になると開成学校(後の東京大学)へ勤務し、米国の医学書の翻訳に本格的に取り組み、明治3年(1870年)に薬の解説書となる「袖珍薬説」、明治6年(1873年)には病気の治療や予防法を記した「内科摘要」を手掛けた。医学書では癌や白血病、糖尿病、痛風、胃潰瘍、インフルエンザなども翻訳しており、明治期には医学の教科書としても使用された。

桑田衡平翁を顕彰する会会長の入江さんは、地元出身の偉人・高林謙三の弟が医学者だったことを知り、桑田家の子孫などから聞き取りを行い、翻訳した医学書や晩年に書き残した自伝が収められている大阪大学附属図書館を訪ねるなど調査。平成23年には地元有志らと謙三・衡平兄弟の生誕地に石碑を建立し、25年には衡平の生涯や翻訳した医学書、自伝の現代語訳などをまとめた「思出草」、昨年には児童向けの絵本「桑田衡平の物語」を出版した。

 入江さんのこれまでの調査により、平成27年度には市教委が作成する小学校社会科副読本に兄・謙三と並び郷土の偉人として衡平の功績が掲載され、市内の小学校で学習に活用されている。

 桑田衡平生誕180年を迎えた昨年は、顕彰する会が記念展を開き、衡平の生涯や功績をまとめたパネル、これまでに収集した衡平の著書や江戸末期から明治初期までの医学書を展示した。

 今回の高麗郡偉人伝では、期間中、桑田衡平が翻訳し発刊した医学書、その生涯や業績を窺うことのできる資料の展示を行うのをはじめ、23日(午後1時~3時)には、日本医師学会代議員で明治前期の医療制度や翻訳医書などの研究を進めている樋口輝雄さんを講師に招き「明治の学医・桑田衡平」と題して講演やトークセッション、30日(午後1時~3時)には顕彰する会の入江さんが講師となり、「桑田衡平の著書と時代背景」と題して講演とトークセッションが行われる。

 また、23、30日の午前10時半~11半には、絵本「桑田衡平の物語」の読み聞かせを、同作品の絵を手掛けた渡部優子さんが行う。

 主催する高麗神社は「桑田衡平は英米の高い医学知識に触れ、米国の医学書の翻訳を行い、翻訳した病名には現在も一般的に使用されているものが多い。日本近代医学の基礎を作り、発展に功績を残した偉人」として、来場を呼びかけている。

 講演や読み聞かせは定員各50人、申し込みは高麗神社989・1403へ。