30年の時を経て再び サムルノリin高麗
今から30年前の昭和61年10月、日高市新堀の高麗神社に韓国青年4人の打楽器演奏者グループ「サムルノリ」の奏でるリズムが木霊した。朝鮮古来の音楽から生まれた心を揺さぶるビートは多くの観衆を酔わせ、日韓友好の面からも広く関心を集めた。高麗郡建郡1300年を迎えた今年、その音色を再び高麗の杜に響かせようと、23日、高麗神社特設会場で「サムルノリin高麗2016」が開催される。主催は2016サムルノリ高麗神社公演委員会(森良美委員長)。
サムルノリは現在、韓国を代表するパーカッション演奏・パフォーマンスを表す音楽ジャンルの名称として知られているが、その由来となったのは、昭和53年に結成された韓国青年4人の打楽器演奏者グループの名「サムルノリ」だ。
かつて韓国には村から村へと放浪する男性の芸能集団「男寺党(ナムサダン)」がいたという。近代化の波の中でその存在が消えようとしていた時、4人の若者がソウルの小劇場に結集し、ナムサダンを継承する演奏を始めた。
サムルノリは、筒状の太鼓「チャンゴ」、日本の祭で使う鉦(かね)を少し大きくした「ケンガリ」、ドラのような低音を響かせる金属楽器「チン」、中型の太鼓「プク」の4つの楽器を使った四重奏。「サムル」はこの「四物」を意味し、「ノリ」は遊びを表す。
メンバーはリーダーのキム・ドクス(チャンゴ)、イ・グァンス(ケンガリ)、チェ・ジョンシル(プク)、ナム・ギムン(チン)。彼らは、朝鮮古来より受け継がれた伝統音楽にジャズやクラシック、ヒップホップといった世界の音楽を取り入れ、グローバルな打楽器集団として成長。
昭和57年には米国ダラスで開催された世界打楽器奏者大会に出場し世界にその存在を知らしめると、日本でも昭和59年の公演を皮切りに数多く来日し、多くのファンを魅了した。
そうした中、「高麗王族の霊が祀られている高麗神社に彼らのリズムを響かせたい」と、日高市周辺の青年たちの熱意とそれに応えた59代宮司の故・高麗澄雄氏の連携により、昭和61年10月26日に同神社でのサムルノリ公演が実現。当日は県内外から約2000人の観衆が訪れ、4人の演奏に酔いしれた。
続日本紀によると、今から1300年前の霊亀2年(716年)5月16日、大和朝廷が東国7国に住んでいた高句麗からの渡来人1799人を武蔵国に移し、高麗郡を設置。初代郡司を務めた高麗王若光ら高麗人(こまひと)たちが渡来の技術や文化を生かして未開の地を切り開いたとされ、高麗郡は明治29年(1896年)に入間郡に編入され廃止となるまで1180年にわたり存続した。
日高市には多くの高麗人が根付き、高麗王若光の霊を祀る高麗神社は人々の拠り所となった。現代では日韓友好の象徴となる存在でもあり、同神社でのサムルノリ公演はこうした点からも大きな意義があるとして、作家や芸術家など数多くの文化人からも注目を集めた。
国指定重要文化財の高麗家住宅の前庭に特設会場が設けられる高麗神社では、60代目宮司となる高麗文康さんが亡き先代宮司からバトンを受け継ぐ形で、30年ぶりの公演の成功に向け準備を整える。
高麗さんは「今から30年前は当社の様子も今とはだいぶ違っていた。日頃は閑散とした境内に2000人を超える人々が集まり、サムルノリのリズムに心踊らされた。30年ぶりの再演が一体どのようなものになるのか、今からとても楽しみにしている。前回ご覧になった方はもちろん、サムルノリを見たことのない方にもぜひご来場頂き、楽しんで頂けたら」と話している。
当日は午後3時開場、4時開演。雨天決行、荒天中止。入場料は前売り3500円、当日4000円、全席自由。未就学児は入場不可。チケット等の問い合わせは、委員会事務局080・1800・0691へ。